2024/12/06
社会学・経営学などの専門書買取【279冊 9,266円】
今回は社会学や経営学に関する書籍等を買い取りました。
社会とは何か?
社会学は奇妙な学問です。というのも、「社会学ってそもそも何を研究しているの?」とまず疑問に思われることが実によくあるからです。そんな学問は他にそうそう見当たりません。
近代に成立した社会学という学問は、多かれ少なかれ「社会とは何か?」という根本問題と切り離せません。というのも一説によると、近代に入ってから新たに噴出してきた様々な問題を扱うために発見(発明?)されたのが「社会」という舞台装置であり、既存の学問の枠では扱いきれないその曖昧模糊とした社会を解明するために生まれたのが社会学だからです。政治学や経済学など、研究対象が一応は限定されている他の社会科学に比べて社会学の営みが節操ないように見えてしまうのは、研究対象である社会というものの掴みどころのなさを反映しているからだとも言えるでしょう。
そしてこの社会という得体の知れないものに関する認識や疑問は、別に小難しい議論を待つまでもなく、私たちが日常生活で感じてきたことでしょう。大人は子どもによく「そんなことでは社会でやっていけない」と言い聞かせるものです。こうした言い回しからは、社会というものがどこかしら私たちに困難や試練を課すものであるという共通認識が伺えます。似たような感覚は、「世間」や「集まり」、さらには「空気」といった言葉からも生じるものと考えられます。
このように、少なくとも私たちは社会を面倒で厄介な何かとして捉えがちとは言えそうです。そして、そんな厄介者の正体を暴き、ときにその退治や説得に一役買おうとするのが社会学に他なりません。
とはいえ、これまで「社会とは何か?」という問いに明確な答えが提出されたとは言えません。そもそもたった一つの答えがあるとは限らないでしょう。そのかわりにこれまで社会学者たちは、この社会という得体の知れないものを解明するための様々な視点や概念、理論を作り出してきました。一方で諸個人の行為の意味(意図や目的、動機)に着目した者もいれば、他方で諸個人にとって外在的で拘束力を持つような制度や慣習、知識などに着目した者もいます(いわゆる「方法論的個人主義」と「方法論的集団主義」の対立)。またそれらの中庸とも言える見解として、人々の相互作用というプロセスを基軸として考察を進めた者もいました。教科書的な整理になりますが、およそ社会学理論はこれら3つの流れのもと発展してきたと言えます。とはいえこれらの流れのどこにヴェーバーやデュルケム、ジンメルやマルクスなど古典的社会学者たちの思想が当てはまるかについては深く踏み込まないでおきましょう。いろいろと解釈が分かれそうな話題なので。
そしてこれら3つの流れのある種の合流として、社会とはコミュニケーションから成るシステムだと考えた者が現れました。ドイツの社会学者ニクラス・ルーマンです。しかも彼の考えのラディカルなところは、その社会というシステムに人間は含まれないと見なしたところです。
最も難解な社会学者
ということで今回高額買取した書籍の中で特に取り上げたいのは、ルーマンの代表作であるこちら。
『社会システム理論 上・下』Niklas Luhmann著,佐島勉監訳,1993年/1995年,恒星社厚生閣.
ニクラス・ルーマン(1927-1998)は、20世紀最大の社会学者の一人です。社会学の教科書には必ずと言っていいほど名前が載っています。
一言で言えばルーマン最大の功績は、「社会システム理論」という社会の一般理論を構築したことに尽きます。もともと社会学はその研究対象に関して節操がないということはすでに触れましたが、その点でルーマンの一般理論が特に重要なのは、多様な対象を単一の視点から考察・比較することができるからに他なりません。当然ただ射程が広いだけで終わるはずもなく、ルーマンが提唱した社会システム理論は事実上、現代の社会学理論の最高到達地点と言えるほどの水準にまで仕上がっています。
もちろんルーマンと同時代には、ユルゲン・ハーバーマス(1929-)やアンソニー・ギデンズ(1938-)、ピエール・ブルデュー(1930-2002)など、同じく社会学の巨人たちがおり、それぞれ独自の社会学理論を展開してきました。ルーマンの理論と彼らの理論の間には重要な類似点もあれば大きな対立点も見られ、それらの比較検討と発展が現代の社会学において大きな課題となっています。しかしこの現状は言い換えれば、彼ら以降新たに有力な社会学理論が生まれていないということでもあります。とはいえこの社会学理論の停滞状況に関しては、むしろ理論の水準が行き着くところまで行ったせいで、社会学理論の役割や存在意義があらためて問い直されるようになる段階に入ったという一面もあるのですが、ここで触れることはできません。
いずれにせよ社会学理論のある種の完成形が、上記の社会学者たちが提唱した理論というわけです。そしてその中でもルーマンは特にカルト的人気を誇っていて、しかもルーマン理論のファンは社会学以外にもいます。なぜかというと、ルーマンの博覧強記っぷりが存分に活かされ構築された一般理論である彼の社会システム理論には、政治学や経済学など社会科学だけでなく哲学や自然科学まで含む広範な知見がこれでもかというほど詰め込まれており、そこからは他分野の専門家から見ても興味深く重要な考察が得られるからに他なりません。その意味でルーマンの理論は単純に学際的な貢献としても高く評価できるわけです。
またルーマンが人気であるもうひとつの理由として、その難解さも挙げることができるでしょう。もちろん中身が重要だということが前提ではありますが、ただ難解というだけでも多くの人が惹かれてしまうことがあるのは否定できない事実です。
その点、ルーマンの著作の難解さはあまりにも有名です。そこらの哲学書よりも読みにくいと評判なくらいです。そのせいで社会学を専門に学んでいても、ルーマンの著作を読んだことがない(読みたがらない)人は大勢います。中にはあまりにも難解過ぎるあまりルーマンの理論を壮大な盲言だと切り捨てる人もいるほどです。そのため、「ルーマンは社会システムの要素を人間や行為ではなくコミュニケーションだと主張した」とか、「ルーマンの言う社会システムとは意味のシステムだ」といったキャッチフレーズ的な理解で落ち着く人が大多数というわけです。
その一方でルーマンの理論にハマり、その読解に明け暮れるようなマニアが一定数生まれてもきました。しかし、その人々は決して酔狂な人間というわけではありません。実際ルーマンの著作には、社会に関する目から鱗の発見がたくさんあります。それはすなわち、社会学という学問の面白さを存分に伝えてくれるということも意味しています。
コミュニケーションはいかにして可能か?
では、社会はコミュニケーションから成るシステムだというルーマンの思想は、詳しくはどんなことを意味しているのでしょうか。しかし、ここで『社会システム理論』という浩瀚な書物の全容や、ルーマンの社会システム理論の概要を解説することなど不可能です。ルーマンに関する研究だけでもはや一つの分野が出来上がっていると言われるほどですから。
というわけで、ここではルーマンの理論の中でも個人的に特に面白いと感じる部分を、大雑把にではありますが少しだけ取り上げてみましょう。具体的には、システム理論の詳細には踏み込まず、ルーマンがコミュニケーションという基礎概念を軸として社会をどのようにして捉えていたのかに焦点を当てようと思います。「システム/環境」や「複合性」など説明すべき概念が多岐にわたり抽象的なシステム論に比べれば、ルーマンのもうひとつの軸とも言えるコミュニケーション理論はまだ取っ付き易くイメージがしやすいと言えるでしょう。そしてルーマンのコミュニケーション理論は、それだけ切り取っても十分社会学の歴史に名を残せるほどに重要な知見に満ち溢れています。
まず、コミュニケーションとは何かということから話していきましょう。ルーマンによればコミュニケーションは「情報」「伝達」「理解」という3つの選択の統一からなります。ここでポイントなのは、情報というモノを移送するというメタファーをルーマンが退けていることです。代わりに、別様でもありうるという可能性の中からの選択が接続していくという視点が採用されています。こうした視点こそルーマンの意味システムの理論の核心にもつながっているのですが、ここでは踏み込みません。
さて、3つの選択(あるいは3つの出来事)が接続することでコミュニケーションが成り立つということですが、「情報」と「理解」の違いはともかく、「情報」と「伝達」の違いは少し分かりづらいかもしれません。この点に関してルーマンは良い例を提示してくれています。
「それゆえに、観察される行動が、その他の何ものかを言い表す記号としてのみ捉えられるばあいには、コミュニケーションは成り立たない。そのばあいには、足早に歩くことは、急いでいることの記号としてしか観察できないのであり、それは、暗い雲が雨についての記号であるのと同様である。しかしながら、足早に歩くことは、急いでいることのみならず、忙しいこと、話しかけることができないことなどの表明としても捉えられるのであり、さらにそのように把握させようとする意図をもって足早に歩いていることもある」(p. 237)。
つまり、情報という選択的な出来事に加えてさらに伝達という選択的な出来事が合わさって初めてコミュニケーションが成立するわけです。情報から理解へとつながるだけならそれは、コミュニケーションではなく認識や観測に過ぎません。もちろん情報と伝達という2つの選択的出来事と言っても、上記の引用からもわかるように2つの別の出来事とは限りません。重要なのは、その違いが区別されたうえで受け手の選択へとつながることです。その点、この情報と伝達の区別にとって大きかったのは、文書や印刷の出現とされています。情報と伝達がはっきりと別の出来事として分かれるわけですから。
そして最後の理解に関しては、情報と伝達という出来事によって、受け手の状態が何らかの形で変化したと捉えればイメージしやすいでしょう。ただ、コミュニケーションにとって特に重要なのは、この「理解」に他なりません。というのも、上記の情報と伝達の区別にしても、結局は理解されるか否かにかかっているとも言えるからです。つまりルーマンのコミュニケーション理論の核心は、コミュニケーションが受け手中心であり、いわば事後的に成立していくものとして捉えられていることにあります。そして実際、この捉え方は私たちの社会的な営みをうまく言い表しています。なぜなら、本当に理解したのか、どのように理解したのかについてあらためてまたコミュニケーションが続くのもよくあることであり、そのような理解についてのメタ的なコミュニケーションも含めてコミュニケーションが次々に成立・接続していくところにこそ、社会的なものの特徴があるとルーマンは考えたわけです。
とはいえ、このように受け手中心のコミュニケーション観だからといって、情報や伝達側の意図などが何の意味もなく受け手が好き勝手できるということにはなりません。というよりむしろ、ルーマンの理論において特に重要な発想は、後続する出来事の可能性がどのように制限されるのかというメカニズムを突き止めるところにあります。そしてそのような制限する何かに依拠することで、伝達する側もコミュニケーションが上手く成立することを期待できるというわけです。
以上がルーマンにおけるコミュニケーション概念の簡単な紹介となります。しかし重要なのはむしろここからです。コミュニケーションが事後的に成立する受け手優位のものであるという事実は、言い換えればコミュニケーションの成立が本来的に不確実なものということを意味しています。そして、その不確実性を処理するメカニズムこそ社会なのです。この点を少し掘り下げていきましょう。
ルーマンによると、コミュニケーションには3つの不確実性があります(pp. 249-250)。
①理解:他人の考えを理解できるかどうかがそもそも不確実。理解は文脈に依存するためなおさら。そして理解は常に誤解の可能性をはらむ。
②到達:コミュニケーションが時間的・空間的な意味で、受け手に到達するのかどうかも不確実。
③成果:たとえコミュニケーションが受け手に到達し無事理解されたとしても、それが受容されるかどうかが不確実。例えば、与えられた命令に従うかどうか、あるいはメッセージを事実だと前提したうえで行動するか否かなど。
このように不確実性を挙げてみると、たしかに納得できるのではないでしょうか。同時に、これほどまでに本来不確実なコミュニケーションが私達の日常生活で当然のようにうまく進んでいることがあらためて疑問に思えてきます。
そしてここで登場するのが社会システムです。これらコミュニケーションの3つの不確実性という困難の存在は、同時に社会システムというものの有り様を示してもいるのです。
「コミュニケーション過程には不確実さが内在しているのであるが、そうした不確実さが克服され確実さへと変換される方途は、同時に社会システムの構築のあり様を規制している。社会的‐文化的進化の過程は、コミュニケーションの見込みが高くなるようにチャンスを変形し拡大する過程として、つまり社会の中に諸社会システムが形成される際の基軸となる諸期待が強固になる過程として解釈されなければならない」(p. 251)。
では、このコミュニケーションの不確実性は具体的にどのように処理されているのでしょうか。ルーマンはこの不確実性を確実性に変えるものを「メディア」という概念にまとめています。そして3つの不確実性に応じて、3つのメディアがあると指摘しています(p. 252-255)。
①言語:規制された記号の使用によって、コミュニケーションの理解可能性が高まり、また理解可能な内容のレパートリーも拡大する。
②拡充メディア:文書、印刷、無線通信など。これによってコミュニケーションの到達距離が拡張する。
③シンボルによって一般化されたコミュニケーション・メディア:真理、愛、貨幣、權力など。これらのメディアを介することで、コミュニケーションの選択が動機づけを促進する。またこのメディアに応じて諸社会システムが形成される(例.貨幣/経済システム)。
そして、この中で社会学理論的に最も重要なのは、シンボルによって一般化されたコミュニケーション・メディアです。言い換えれば、それが対処しようとするところの、コミュニケーションの受容の不確実性という問題こそが大事なのです。
私たちが社会というものを厄介で息苦しいものと考えがちなのは、それが私たちに特定のコミュニケーションの受容を促すからに他なりません。上司の命令に従わざるを得ないのは、權力というメディアによって服従の受容可能性が高まっているからです。
そして、そのような不確実性の確実性への変換は、具体的には期待というかたちで私たちの日常に浸透しています。上司は自分の命令が受容されるだろうと期待している、というように。こうした期待が幾重にも錯綜していることこそ、社会性の核心なのです。その意味でもルーマンの理論の中核にあるのは期待概念であるとも言えます。誤解をおそれず単純化すると、構造化された期待こそが社会システムの構造にほかなりません。そしてその基準となりうる期待に依拠して、比較的穏当に日々のコミュニケーションが進行しているのです。
このようなルーマンの発想で特に興味深いのは、「負担免除」という視点です。これはドイツの哲学的人間学からルーマンが受け継いだ思想です。この負担免除という発想をかなり噛み砕いて説明してみましょう。世界はそもそも複雑すぎるため、私達はそのすべてを処理しきるのは不可能です。そうした処理能力への負担を免除してくれるひとつが社会であるということです。こうした発想は、社会というものを単なる厄介で面倒な何かとみなしがちな私達の視野を広げてくれるのではないでしょうか。
以上が、私が考えるルーマンの理論の中心にある思想です。社会は面倒なものだけど、私たちの負担を肩代わりしてくれているとざっくり覚えておきましょう。そこからどんな理論や思想、考察につなげていくかは、皆さん次第です。
ルーマンの著作に関する補足
ちなみにここで取り上げた『社会システム理論』ですが、今回買い取ったのは旧訳です。2020年に勁草書房から『社会システム:或る普遍的理論の要綱』として新訳が出版されています。買取額も旧訳版よりも新訳版の方が高くなるのでご注意ください。
こちらの翻訳を担当したのは馬場靖雄さん。日本のルーマン研究の第一人者です。ルーマン自身の著作にチャレンジして撃沈した後、馬場さんの著作『ルーマンの社会理論』(1990,勁草書房)を通してルーマンの理論をなんとか理解したという方は多いのではないでしょうか。こちらもおすすめの書籍です。
ルーマンはかなり著作数が多い社会学者のため、どれから手を付ければいいか迷う方もいることでしょう。個人的におすすめなのは、初期の『法社会学』や『信頼』『權力』などです。社会システム論の概念がまだそこまで準備されていない段階で書かれた著作だからこそ、ルーマンの基本的な思想を読み取りやすいからです。極論ですが、『社会システム理論』以降の後期の著作は、前期の考察を社会システム論の語彙で再整理したものと言えなくもありません。
今回の高額買取商品一覧
今回は200円以上で買い取らせていただいたものを一覧にしております。上では社会学及びルーマンの著作についてのみフォーカスいたしましたが、下表のように数学や物理学、経営など非常に広い範囲の専門書を、しかも新旧問わずお送りいただきました。前の持ち主の方は非常に知的好奇心の強い方だったのだろう、と本の山を前に感嘆のため息が出てしまいました。
当店では専門書を分野問わず幅広く取り扱っております。ややマニアックかと思われるようなものでも、きちと一冊一冊丁寧に査定させていただきますので、もう読まないけれど次の誰かに役立てたいという書籍がございましたら、ぜひ当店にお任せください。
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(買取額は市場の需要と供給のバランスにより変動するため、現在とは異なる可能性がございます。上記は2024.10.31時点の金額です。)
下の画像は送っていただいた本のほんの一部です。
今回も良書をたくさんお売りいただき、誠にありがとうございました!
スタッフTM