2020/10/22
人文(哲学・小説・歴史)、音楽、言語等の書籍買取
今回は人文科学系の本を中心に、コンピュータ、小説、歴史、写真集、音楽、言語関係など様々なジャンルの本を買取させていただきました。
以下に特によい査定額をお付けできた本を紹介させていただきます。
「Microsoft Word 2016 ドリル」
「薬に頼らずコレステロール・中性脂肪を下げる方法」
「上野新論」
「ジブラルタルの征服 (叢書・エクリチュールの冒険)」
「エトワール広場/夜のロンド」
「ピアニスト フランソワの〈粋〉を聴く」
「日本語で外国人と話す技術」
「吉原で生きる」
「亀裂――欧州国境と難民」
「大人は知らない 今ない仕事図鑑100」
「学生を思考にいざなうレポート課題」
「庭とエスキース」
「日本語教師のための 日常会話力がグーンとアップする雑談指導のススメ」
「龍彦親王航海記:澁澤龍彦伝」
「触常者として生きる―琵琶を持たない琵琶法師の旅」
「ピュタゴラスの音楽」
「書くことの秘儀」
などなど。
以前、本ブログで取り上げた「新 13歳のハローワーク」の類書としてご紹介した「大人は知らない 今ない仕事図鑑100」も入っていますね。やはりこの本、気になりますよね。分かります。
しかし、その中でも特に気になった本がこちら
「エトワール広場/夜のロンド」(2016年)です。
こちらの本の著者はパトリック・モディアノ。1945年生まれのフランスの作家で、2014年にノーベル文学賞を受賞しました。その際に、彼の作品は「忘却の彼方にある人々の運命を思い起こさせ、ナチ占領下の世界の人生を描き出した”記憶の芸術”」であると受賞理由が発表されましたが、そのナチ占領下の世界を描いた代表作が、彼が若干22歳の時に書いた本作「エトワール広場」そして、第2作「夜のロンド」です。
先にも書いたように、彼は1945年生まれです。そして、22歳のときに出版したのですから、原著の発表から50年近く経ってからの受賞だったことになります。そして、この邦訳版はノーベル賞受賞から遅れること2年後の刊行。どちらもかなり時間を経てからのことです。
この空白にも思える期間、モディアノが作品を書いていなかったわけではありません。ノーベル賞受賞理由にあるナチ占領下の世界を描いた作品も実はこの初期作品だけではなく、占領下のパリに実在したユダヤ人少女を題材にその足跡を追った「1941年、パリの尋ね人(邦題)」(1997年)(もしくは、「ドラ・ブリュデール(原題)」)、自伝的作品「血統書」(2005年)などもあります。
その他のモチーフを扱った作品も多数あり、その作品群は「モディアノ中毒」という言葉があるほど、フランスでは熱狂的に愛読されています。(詳しくは松崎之貞 著「モディアノ中毒 パトリック・モディアノの人と文学」(2014年、国書刊行会)参照。)
それでは、なぜ、今になっての出版なのか?
やはり、それは2014年のノーベル賞受賞が大きかったと思います。また、今回の翻訳版が定本としたのが2002年の普及版であったこと、そして、本作には出版当時にタブー視された固有名詞、人物名が大量に登場するため、それをまだ明らかにできないという時代的・社会的背景があったこと、また、モディアノの作品には登場人物、物語の舞台となる時間軸、空間軸の歪みが所々にあり、訳出が非常に困難であったことなどがその理由として考えられます。実際に帯では「翻訳不可能とも言われてきたが、ついに翻訳が完成した。」と本書紹介を結んでいます。
モディアノの描く占領下の世界観を読むにあたって知っておくべきことは、彼自身がナチス占領下のパリで闇ブローカーをして生き残ったユダヤ人を父に持つということです。モディアノは彼自身を「私は占領時代の汚物から生まれた」と評しています。占領下のパリに彼自身は生まれていません。しかし、その作品群の中で揺れる・歪む時間軸、空間軸、人称などが、彼の出自、生きていく中で背負っていると自覚したもの、父や母への怒り、思慕などが絡み合い、まるでそこにいるかのようなリアリティを生み出しているのだと思います。
ヨーロッパにおける「ユダヤ」の意味は、日本人読者には実感できない類のものであるように思います。しかし、その政治的、そして宗教的意味は分からずとも、ユダヤの「星(フランス語でエトワール)」を背負って生きる人々の悲哀のようなものを、モディアノの作品からは感じとれると思います。それは、1997年に出版した「ドラ・ブリュデール」に2013年になっても加筆する作者の、作品に対する固執と愛情を通して、モディアノのアイデンティティへの追及を垣間見るからだと思います。
戦後、対独協力者に対するバッシングが起きたのは想像に難くないですが、モディアノ自身は作品群にこういった「対独協力作家」を頻繁に登場させつつも、その是非を問うことはしていません。彼の中では、そういった政治的主張に白黒をつけることは大きな問題ではなく、「私は誰だろう?」という、多少複雑な背景は持つものの、根っこは非常にシンプルな課題を追及することの方が重大事なのでしょう。
そういった普遍的なテーマを持つ以上、日本の読者にも更に広く彼の作品が読まれることを望みます(未訳出の本がまだ結構あるので・・・)。
最後に、本書に戻りますが、その理解しずらい時代的背景や当時のパリの地理の情報が、巻末の別冊「地図・解説・訳注」に収められています。こういったスタイルの邦訳本は珍しいのではないでしょうか。物語を読む際に、非常に参考になりました。こういったスタイルの本が増えてくれると -賛否が多いのは分かりますが- 個人的にはうれしいですね。
今回も良書をたくさんお譲りいただき、ありがとうございました!